「塾なし中学受検」を考える

〜塾に通わず、通信教材のみで都立中高一貫校に合格しました〜

都立中高一貫校 適性検査対策 「調査書について②」

〜「都立中高一貫校  適性検査対策  『調査書について①』」からの続きです〜

yyyask.hatenablog.jp

 

前回の記事「都立中高一貫校  適性検査対策  『調査書について①』」では、私が調査書を重視した理由として、「得点源としての重要性」を挙げました。調査書が適性検査全体の点数に占める割合は2〜3割になるため、合否において数点の差が重要になってくる適性検査ではなるべく多くの点数を調査書で確保しておくに越したことはない、という観点からの理由です。

 

今回はそれとはまた違った観点から、私が感じた調査書の重要性を述べたいと思います。それは一言で表すと、「調査書の点数=学校の成績」が上がることにつながる全ての学びはそのまま本人の力になるということです。ここでいう「本人の力」とは、もちろん実際の適性検査の問題で得点できる学力という意味も含んでいますが、それ以上に都立中高一貫校が受検生に求めている力や資質のベースになるものという意味合いが強いです。

 

A子の場合を例にとって具体的に言いますと、彼女が小学校中学年の時に担任になった先生は、提出は任意の宿題として「自学自習ノート」というものを推奨されていました。これは文字通り自分でその都度学ぶテーマを決めて、どのような手段でもいいからそれについてまとめ、先生に提出するというものでした。後に妻から聞いた話によると、かつては調べ学習を基本として課されていたものだったのが、私立中学受験の塾通いで忙しい生徒の親から「勉強の負担になる」と一部不満の声が上がり、娘の頃には塾で課された宿題のプリントを貼り付けて提出してもよいとなったそうです。少し話がそれてしまうのですが、このことを聞いた時、私はこれこそ本末転倒の見本のような話だなと思いました。そして、このような視野狭窄(と言うより唯我独尊)状態に陥ってしまう人が出て来てしまうことに中学受験システムの闇を感じるのですが、とりあえずここではその話は置いておきます。

 

私の娘にはこの自学自習ノートがとても合っていたようでした。前提として、当時の担任の先生のことが大好きで、先生の前で一生懸命頑張っているところを見せたいという気持ちもあったようですが、何より毎回ノートの1〜2ページをどんなテーマで何を調べて埋めるかを考え、提出したノートに先生のコメントをもらい、それを少しずつコツコツと積み上げていくというプロセスが本人の性に合っていたのかもしれません。いずれにせよ、特定の教科に偏ることなく様々なテーマについて図鑑や事典を中心に調べてまとめるという作業を卒業までの3年間続けたことが、Z会の通信教材から得られた教科の基礎学力とは別に本人の力となり、最終的に適性検査に取り組むにあたって大きな底力となったことは間違いなさそうです。また先述の通り、そのような学習姿勢こそ都立中高一貫校が生徒に求めるものなのではないかと思っています。結局のところ、現行の適性検査はその特性から判断するに、知識詰め込み型の学習をしてきた子供よりも自分で学びたいことを見つけられる子供、周囲から「これをやりなさい」と指示されるのを待つ子供よりも「これがやりたい」と自分から発信できる子供を求めていることが伺えます。そのような点からも、偶然の出会いではありましたが、娘の担任の先生がこのような形式の課題を課してくれたことには心から感謝しています。

 

私立中学受験において、小学校の勉強はともすればほとんど役に立たないものといった扱いを受けてしまうことが往々にしてあると思います。私自身が小学校時代、中学受験塾に通っていたことで生意気にもそれに近い考えを持っていたと思います(授業が楽しいとは思っていましたが)。けれども、そもそも本当に大切な学びとはただ単に教師から与えられる知識や技術をそのまま身につけるだけではなくて、繰り返しになりますが自ら学びの対象を見つけてアプローチしていくことにあると言えますし、とりわけこれからの世の中ではそのような姿勢が勉強に限らずますます求められていくと言われているわけですから、適性検査に限らずその点でも小学校での学びは重要だと言えるかと思いますし、少なくとも姿勢次第でいくらでも実り多いものへとしていけるのではないかと感じます。

 

〜「都立中高一貫校  適性検査対策  『調査書について③』」に続きます〜

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