「塾なし中学受検」を考える

〜塾に通わず、通信教材のみで都立中高一貫校に合格しました〜

「塾なし中学受検」を選んだ理由③

〜「『塾なし中学受検』を選んだ理由②」からの続きです〜

yyyask.hatenablog.jp

 

「『塾なし中学受検』を選んだ理由①」で挙げた以下の3つの理由のうち、今回は c. について書きたいと思います。

a. 子供自身の意思の尊重

b. 私立中学受験というシステムへの思い

c. 経済的な問題

 

このように理由を3つ並列させると、どれも同じくらいの重さであったかのように感じさせてしまうかもしれませんが、私にとって本質的だったのは前回、前々回で述べた a. と b. の理由であり、今回の c. はあくまで付随的な理由になります。というより、現実的な理由と言った方がより正確でしょう。私は中学受験は何より子供自身の意思が重要という考えを持っていますが、では我が子たちがそろって中学受験を希望したとしても、それはそれで叶えてあげることはおそらく経済的理由からできなかったと思われます。それは、我が家が多子家庭であるためです。ちなみに、かつて弾いたそろばんによると、もし子供が2人以下であったなら何とか可能だったと思います。3人であったなら、かなり厳しくはなるがそれでもギリギリ可。しかし、4人以上となると… _| ̄|○  …といったくらいの経済状況です😅ということで、子供たちに対する公平性の点からも、逆に第一子から通塾・私立中学受験はなしにしてしまおう!と考えたのでした。

 

そう言ってしまうと、子供の大事な将来に関することなのに、ずいぶんドライで割り切ってるな、それでいいのか?と思われてしまうかもしれませんが、この決断をした背景にはそれなりの根拠があります。a. b. の理由にも関わってくるのですが、私はこれまでの自他に対する観察そして分析から、「私立の方が公立より優位」と単純には思っていません。「どちらにもメリット・デメリットがあり、一人ひとりが自分に合った方向へ進むべき」だと思っています。私立の環境が合う子もいれば、公立の環境が合う子もいます。後はその他の様々な要因を踏まえて、各家庭が選択すればいいと思うのです。ただ、「その他の様々な要因」の中には当然経済的なものも含まれますから、我が家のように公立を選ばざるを得ない家庭もあるわけです。

 

もし経済的に私立中学受験を諦めざるを得ず、さらにその事が子供の将来にとってマイナスになってしまうのではと心配されている保護者がいるとすれば、それは絶対に気にしない方がいいと私は思うのです。これも自己の経験と他者の観察から導き出した意見なのですが、まず自ら私立中高一貫校に通った経験から言えることは、私学の環境を生かすも殺すも結局は自分次第である、ということです。特に勉強面についてはそう言えます。一般的に私学のカリキュラムは公立に比べて進度も速く、より高いレベルで組まれていると言われます。けれども、それを問題なくこなして行けるかどうかはまた別の話であって、まさに生徒の能力次第となって来るわけです。割合は学校によっても変動はあるはずですが、生徒の通塾率も思いのほか高いようで、学校の授業について行くため、または次の関門である大学受験に向けて、結局私学に進んでも塾に通う生徒は通うのです。それどころか、いわゆる難関私学に合格した生徒の方がそのまま鉄緑会や平岡塾といった大学受験塾に通うことが多いようですから、「私立一貫校に入れば普段の授業がそのまま大学入試対策につながるため、塾に通う必要はないのです」という誘い文句はそのまま信じるわけにはいきません。むしろ経済的な観点からは疑問が生じてしまいます。この辺りのリアルな事情については『ルポ塾歴社会  日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(おおたとしまさ著、幻冬舎新書)が非常に示唆的でした。実際、私が通った中高一貫校は偏差値的には60弱のレベルでしたが、高2にもなればほとんどの生徒は塾や予備校に通っていました。もちろんより早い段階から通塾している生徒も一部いたわけです。

 

これらのことから考えると、少なくとも受験産業側が主張する「私立一貫校の方が、塾に通わなければならない公立に比べ、経済的にトータルではお得である」というロジックは成立しないと私は思っています。実際には私学に通いながら塾にも通う生徒の割合は想像以上に高いためです。「中高6年間で通塾が必要か否か」という問いに対しては、「私立か公立か」という二項対立の問題ではなく、単純に「本人が行くか行かないか(親が行かせるか行かせないか)」という考え方の問題だと思うです。

 

もう一つ、必ずしも私学に通わずとも本人次第でいくらでも結果は出せるという例を、今度は私の小学校時代の友人たちのエピソードから示したいと思います。以前のブログ記事でも多少触れたと思いますが、私が通っていた小学校は中学受験率が低く、そのほとんどが地元の公立中学校に進む学校でした。その中には、優秀でも家庭の経済事情や親の考え方から中学受験をしない友人もいました。彼らのほとんどはその後高校入試を経て公立高校に進学しましたが、そこから旧帝大や難関私大に合格し、現在日本やアメリカで大学の準教授をしている人も、大企業に勤務している人もいます。彼らとは小学校時代に仲良く遊んでいましたが、小学5年生、6年生と進むに連れてどんどん遊べる時間が少なくなっていった自分に対し、彼らは毎日遅くまで存分に遊んでいたようです。夕方5時から始まる塾のため、友人たちとの遊びを途中で切り上げて自転車をこぐ道すがら感じていた「もっと遊んでいたかった…」という気持ちは、30年以上経った今でもリアルに思い出します。タラレバを言っても意味のないことは承知していますが、もし自分が中学受験をせずに彼らと毎日思う存分に遊べる小学校時代を過ごし、地元の公立中学に進んでともに切磋琢磨しながら高校受験を経験していたとしたら、どんな人生になっていただろうか ー 高校受験がなかったことで途中勉強する動機を失ってしまい、基礎があやふやなまま大学受験に突入してしまった私は、時にこんなことを考えるのです(40歳を越えたいまだに、です)。