「塾なし中学受検」を考える

〜塾に通わず、通信教材のみで都立中高一貫校に合格しました〜

都立中高一貫校 適性検査対策 「調査書について②」

〜「都立中高一貫校  適性検査対策  『調査書について①』」からの続きです〜

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前回の記事「都立中高一貫校  適性検査対策  『調査書について①』」では、私が調査書を重視した理由として、「得点源としての重要性」を挙げました。調査書が適性検査全体の点数に占める割合は2〜3割になるため、合否において数点の差が重要になってくる適性検査ではなるべく多くの点数を調査書で確保しておくに越したことはない、という観点からの理由です。

 

今回はそれとはまた違った観点から、私が感じた調査書の重要性を述べたいと思います。それは一言で表すと、「調査書の点数=学校の成績」が上がることにつながる全ての学びはそのまま本人の力になるということです。ここでいう「本人の力」とは、もちろん実際の適性検査の問題で得点できる学力という意味も含んでいますが、それ以上に都立中高一貫校が受検生に求めている力や資質のベースになるものという意味合いが強いです。

 

A子の場合を例にとって具体的に言いますと、彼女が小学校中学年の時に担任になった先生は、提出は任意の宿題として「自学自習ノート」というものを推奨されていました。これは文字通り自分でその都度学ぶテーマを決めて、どのような手段でもいいからそれについてまとめ、先生に提出するというものでした。後に妻から聞いた話によると、かつては調べ学習を基本として課されていたものだったのが、私立中学受験の塾通いで忙しい生徒の親から「勉強の負担になる」と一部不満の声が上がり、娘の頃には塾で課された宿題のプリントを貼り付けて提出してもよいとなったそうです。少し話がそれてしまうのですが、このことを聞いた時、私はこれこそ本末転倒の見本のような話だなと思いました。そして、このような視野狭窄(と言うより唯我独尊)状態に陥ってしまう人が出て来てしまうことに中学受験システムの闇を感じるのですが、とりあえずここではその話は置いておきます。

 

私の娘にはこの自学自習ノートがとても合っていたようでした。前提として、当時の担任の先生のことが大好きで、先生の前で一生懸命頑張っているところを見せたいという気持ちもあったようですが、何より毎回ノートの1〜2ページをどんなテーマで何を調べて埋めるかを考え、提出したノートに先生のコメントをもらい、それを少しずつコツコツと積み上げていくというプロセスが本人の性に合っていたのかもしれません。いずれにせよ、特定の教科に偏ることなく様々なテーマについて図鑑や事典を中心に調べてまとめるという作業を卒業までの3年間続けたことが、Z会の通信教材から得られた教科の基礎学力とは別に本人の力となり、最終的に適性検査に取り組むにあたって大きな底力となったことは間違いなさそうです。また先述の通り、そのような学習姿勢こそ都立中高一貫校が生徒に求めるものなのではないかと思っています。結局のところ、現行の適性検査はその特性から判断するに、知識詰め込み型の学習をしてきた子供よりも自分で学びたいことを見つけられる子供、周囲から「これをやりなさい」と指示されるのを待つ子供よりも「これがやりたい」と自分から発信できる子供を求めていることが伺えます。そのような点からも、偶然の出会いではありましたが、娘の担任の先生がこのような形式の課題を課してくれたことには心から感謝しています。

 

私立中学受験において、小学校の勉強はともすればほとんど役に立たないものといった扱いを受けてしまうことが往々にしてあると思います。私自身が小学校時代、中学受験塾に通っていたことで生意気にもそれに近い考えを持っていたと思います(授業が楽しいとは思っていましたが)。けれども、そもそも本当に大切な学びとはただ単に教師から与えられる知識や技術をそのまま身につけるだけではなくて、繰り返しになりますが自ら学びの対象を見つけてアプローチしていくことにあると言えますし、とりわけこれからの世の中ではそのような姿勢が勉強に限らずますます求められていくと言われているわけですから、適性検査に限らずその点でも小学校での学びは重要だと言えるかと思いますし、少なくとも姿勢次第でいくらでも実り多いものへとしていけるのではないかと感じます。

 

〜「都立中高一貫校  適性検査対策  『調査書について③』」に続きます〜

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都立中高一貫校 適性検査対策 「調査書について①」

こんにちは。今春、第一子A子が塾に通わずに都立中高一貫校に合格したことに関してあれこれと記述していくブログです。

 

今回は適性検査対策のうち、調査書について思うことを書きたいと思います。まずは調査書が適性検査全体に対して占める割合ですが、2022年度では高い方から30%、25%、20%の3パターンがありました。30%が3校、25%が3校、20%が4校あり、割合が高い順に並べると以下の通りです。

 

〈各校の調査書点/総合点 ・  通知表3段階の換算点〉

桜修館 300/1000 (30%) ・  25 / 17 / 9

大泉 300/1000 (30%) ・  30 / 20 / 5

富士 300/1000 (30%) ・  25 / 15 / 5

小石川 200/800 (25%) ・  25 / 20 / 5

立川国際 250/1000 (25%) ・  20 / 10 / 5

武蔵 400/1600 (25%) ・  25 / 20 / 5

白鷗 200/1000 (20%)  ・  20 / 10 / 5

三鷹 200/1000 (20%) ・  40 / 20 / 5

南多摩 200/1000 (20%) ・  20 / 10 / 4

両国 200/1000 (20%) ・  40 / 25 / 5

 

割合が低くても全体の20%、高ければ30%も占めるわけですから、個人的には非常に重要だと感じていました。この調査書の扱いについてネットを中心に調べ始めた時、私が感じたのと同様に「重要である」「決して軽く見てはいけない」といった意見が見られた一方で、「総合点に対する比重では適性検査検査Ⅰ〜Ⅲで7〜8割を占めるのだから、あまり気にしなくてもいいでしょう」といったものもありました。けれども、そのように言える前提としては、適性検査ⅠとⅡで確実に高得点を狙えるだけの実力がなければならないわけで、よほどできる子供でない限り調査書点は可能な限り確保しておくのが得策でしょう。

 

また、その上でもう一つ注意しておきたいことは、3段階の換算点に大きく差をつけている学校があることでしょう。特に3と1の間に大きな差を設けている学校が見られます。平均的には4〜5倍の差をつけている学校が多いようですが、中には三鷹や両国のように8倍もの差があるところもあります。一方で、桜修館だけはその差が3倍弱と、それほどの開きはありません。ですから、調査書の扱いについては志望校の特徴をあらかじめつかんでおくことが重要と思われます。いずれにしても、高倍率の都立一貫校受検においては、少しの差が合否を分けているに違いないので、調査書点は決して軽く見てはいけないと思うのです。

 

結論としては、「すでに学校の成績が大方決まってしまっている6年生の夏以降であれば今さらどうにもしようがないのだから、あれこれ思い悩むより適性検査Ⅰ〜Ⅲでできるだけ高い点が取れるよう対策に集中した方がいいのは間違いないと思うけれども、これから5年生ないし6年生を迎える時期にいるのであれば、できるだけ良い成績が取れるように努力した方がいい」というのが私の考えです。

 

〜都立中高一貫校  適性検査対策  「調査書について②」に続きます〜

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「塾なし中学受検」を選んだ理由③

〜「『塾なし中学受検』を選んだ理由②」からの続きです〜

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「『塾なし中学受検』を選んだ理由①」で挙げた以下の3つの理由のうち、今回は c. について書きたいと思います。

a. 子供自身の意思の尊重

b. 私立中学受験というシステムへの思い

c. 経済的な問題

 

このように理由を3つ並列させると、どれも同じくらいの重さであったかのように感じさせてしまうかもしれませんが、私にとって本質的だったのは前回、前々回で述べた a. と b. の理由であり、今回の c. はあくまで付随的な理由になります。というより、現実的な理由と言った方がより正確でしょう。私は中学受験は何より子供自身の意思が重要という考えを持っていますが、では我が子たちがそろって中学受験を希望したとしても、それはそれで叶えてあげることはおそらく経済的理由からできなかったと思われます。それは、我が家が多子家庭であるためです。ちなみに、かつて弾いたそろばんによると、もし子供が2人以下であったなら何とか可能だったと思います。3人であったなら、かなり厳しくはなるがそれでもギリギリ可。しかし、4人以上となると… _| ̄|○  …といったくらいの経済状況です😅ということで、子供たちに対する公平性の点からも、逆に第一子から通塾・私立中学受験はなしにしてしまおう!と考えたのでした。

 

そう言ってしまうと、子供の大事な将来に関することなのに、ずいぶんドライで割り切ってるな、それでいいのか?と思われてしまうかもしれませんが、この決断をした背景にはそれなりの根拠があります。a. b. の理由にも関わってくるのですが、私はこれまでの自他に対する観察そして分析から、「私立の方が公立より優位」と単純には思っていません。「どちらにもメリット・デメリットがあり、一人ひとりが自分に合った方向へ進むべき」だと思っています。私立の環境が合う子もいれば、公立の環境が合う子もいます。後はその他の様々な要因を踏まえて、各家庭が選択すればいいと思うのです。ただ、「その他の様々な要因」の中には当然経済的なものも含まれますから、我が家のように公立を選ばざるを得ない家庭もあるわけです。

 

もし経済的に私立中学受験を諦めざるを得ず、さらにその事が子供の将来にとってマイナスになってしまうのではと心配されている保護者がいるとすれば、それは絶対に気にしない方がいいと私は思うのです。これも自己の経験と他者の観察から導き出した意見なのですが、まず自ら私立中高一貫校に通った経験から言えることは、私学の環境を生かすも殺すも結局は自分次第である、ということです。特に勉強面についてはそう言えます。一般的に私学のカリキュラムは公立に比べて進度も速く、より高いレベルで組まれていると言われます。けれども、それを問題なくこなして行けるかどうかはまた別の話であって、まさに生徒の能力次第となって来るわけです。割合は学校によっても変動はあるはずですが、生徒の通塾率も思いのほか高いようで、学校の授業について行くため、または次の関門である大学受験に向けて、結局私学に進んでも塾に通う生徒は通うのです。それどころか、いわゆる難関私学に合格した生徒の方がそのまま鉄緑会や平岡塾といった大学受験塾に通うことが多いようですから、「私立一貫校に入れば普段の授業がそのまま大学入試対策につながるため、塾に通う必要はないのです」という誘い文句はそのまま信じるわけにはいきません。むしろ経済的な観点からは疑問が生じてしまいます。この辺りのリアルな事情については『ルポ塾歴社会  日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(おおたとしまさ著、幻冬舎新書)が非常に示唆的でした。実際、私が通った中高一貫校は偏差値的には60弱のレベルでしたが、高2にもなればほとんどの生徒は塾や予備校に通っていました。もちろんより早い段階から通塾している生徒も一部いたわけです。

 

これらのことから考えると、少なくとも受験産業側が主張する「私立一貫校の方が、塾に通わなければならない公立に比べ、経済的にトータルではお得である」というロジックは成立しないと私は思っています。実際には私学に通いながら塾にも通う生徒の割合は想像以上に高いためです。「中高6年間で通塾が必要か否か」という問いに対しては、「私立か公立か」という二項対立の問題ではなく、単純に「本人が行くか行かないか(親が行かせるか行かせないか)」という考え方の問題だと思うです。

 

もう一つ、必ずしも私学に通わずとも本人次第でいくらでも結果は出せるという例を、今度は私の小学校時代の友人たちのエピソードから示したいと思います。以前のブログ記事でも多少触れたと思いますが、私が通っていた小学校は中学受験率が低く、そのほとんどが地元の公立中学校に進む学校でした。その中には、優秀でも家庭の経済事情や親の考え方から中学受験をしない友人もいました。彼らのほとんどはその後高校入試を経て公立高校に進学しましたが、そこから旧帝大や難関私大に合格し、現在日本やアメリカで大学の準教授をしている人も、大企業に勤務している人もいます。彼らとは小学校時代に仲良く遊んでいましたが、小学5年生、6年生と進むに連れてどんどん遊べる時間が少なくなっていった自分に対し、彼らは毎日遅くまで存分に遊んでいたようです。夕方5時から始まる塾のため、友人たちとの遊びを途中で切り上げて自転車をこぐ道すがら感じていた「もっと遊んでいたかった…」という気持ちは、30年以上経った今でもリアルに思い出します。タラレバを言っても意味のないことは承知していますが、もし自分が中学受験をせずに彼らと毎日思う存分に遊べる小学校時代を過ごし、地元の公立中学に進んでともに切磋琢磨しながら高校受験を経験していたとしたら、どんな人生になっていただろうか ー 高校受験がなかったことで途中勉強する動機を失ってしまい、基礎があやふやなまま大学受験に突入してしまった私は、時にこんなことを考えるのです(40歳を越えたいまだに、です)。

 

「塾なし中学受検」を選んだ理由②

〜「『塾なし中学受検』を選んだ理由①」からの続きです〜

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前回の「『塾なし中学受検』を選んだ理由①」では、以下の3つを挙げました。

a. 子供自身の意思の尊重

b. 私立中学受験というシステムへの思い

c. 経済的な問題

 

今回はb. の理由について書きたいと思います。これはa. と多分にオーバーラップする部分もあるのですが、自らの経験も含めて思うことが色々とある部分です。「『塾なし中学受検』を選んだ理由①」でも書きましたが、私自身の中学受験は自らの意志とは無縁の場所で決まっていたため、どうしても勉強に取り組む姿勢が甘くなりがちでした。子供の頃の思いで言えば、「もっと遊びたいのにいやいや塾に通っている」状況です。そもそも平均的な中学受験勉強の開始時期が小学4年生前後の時期であるため、その時点で「中学は公立か、それとも私立か?」という問いは、多くの子供たちにとって必然的に難しいものとならざるを得ず、畢竟親の計画や意志が主体になってしまいやすい訳です。これは現在でもほとんど変わらない、いやむしろ受験準備開始年齢の低年齢化が進むにつれてより強まる傾向にあるのではないでしょうか。

 

私は中学受験が成功する鍵の一つに、「受験生自身の強い希望」があると思っています。切っ掛けはどんなものでも構わないと思うのです。精神年齢が高めな小学生であれば、勉強であれ課外活動であれ、自分のしたいことが思う存分できる場として特定の私学に行きたいと考えるかもしれません。または、小学校での人間関係がうまくいっていない、あるいは地元の公立中学校の環境が著しく良くないため、このまま進学することが不安だという動機もありうるでしょう。いずれにせよ、本人に小学校生活の3年以上を費やして塾に通って勉強することを頑張り抜ける動機があれば、私は中学受験も選択肢の一つとして全く問題ないと思うのです。

 

私が個人的に問題に感じるのは、時として子供の意思を飛び越えたところで完全に親が主体となって行われてしまうような中学受験なのです。進学塾を中心としたいわゆる受験産業は、ありとあらゆる手で親を子供の中学受験参入へと誘導します。純粋に「私学はこんなに素晴らしい場所ですよ!」と紹介するだけでなく、時には「公立だとこんなに不安要素がありますよ!」といった形で、親の焦りを引き出そうとしたりします。けれども、冷静に考えれば当たり前のことなのですが、どんな子供にとっても私学が最適な環境であるなどということはありえないわけです。地元の公立中学に進学する子供たちと非常に良い友人関係を築けている子もいるでしょうし、私立中学に特有の男子校や女子校が肌に合わない子もいるでしょう。また、受験産業では戦略上公立中学を一括りにしてその構造的欠陥を指摘し、親の不安を煽ったりしますが、公立中学も地域や校長の力量によって素晴らしい取り組みをしているところはあるわけです。一方、私立中学と一口に言っても学校のレベル、共学か別学か、宗教のある・なしといった分かりやすい違いから、どんな生徒が集まりどんな校風を持っているのかといった外からではなかなか分からない違いまで、まさに千差万別であるわけですから、その中から必ず自分の子供に合う私学を選ぶというのは実はかなり難しいことなのではないかと思うのです。

 

ここで親が落ち着いて様々な要因をしっかりと検討し、その上で「やはり我が子にとってはこの私学が合っていて、本人もその学校への進学を望んでいる」という状況が作れたのであれば問題ないと思うのですが、実際には先ほどのような不安を煽られ、子供の思いとはまったく別の場所で何となく中学受験を考えているという保護者も多いのではと思うのです。そして、そのように親と子の向いている方向にズレがあるまま強引に中学受験の世界に入ってしまう時に、悲劇が起きうるのではないでしょうか。

 

こんな風に考える理由には、やはり私自身の体験が大きく影響しています。100%親の意向で中学受験勉強をしていた私には、いわゆる志望校もありませんでした。「『塾なし中学受検』を選んだ理由①」にも書いた通り、私の親もある程度学校のことを調べたり、説明会に参加したりして一定の情報はもたらしてくれていましたが、私自身に「私学に行きたい」という動機が欠けていたため 、結局はその時々の私の偏差値に合う学校を「志望校」として決められていたという状況でした。「その時々」というのも、小学校6年生の前半には4科で60強あった偏差値も9月以降じわじわと下降していき、12月には55前後になってしまったため、「志望校」のレベルもそれに合わせて下がっていったためです。最終的には入試との相性もあったのか偏差値60弱の男子校に何とか滑り込めたのですが、当初親から勧められていた学校の偏差値が65ほどあったこともあり、私自身の中学受験に対する当時の思いは「うまく行かなかった」というものだったのです。より正確に表現すると、「親の期待に応えられるだけの能力がなく申し訳ない」という気持ちでした。

 

いま、自らが親になって改めて考えると、自分が進学した学校は決してダメな所ではないと思いますし、もし息子が望んで受験して合格したならば、心から「よくやった!頑張った!」と言ってあげられる学校だと思います。私の親も最終的にはそのような気持ちでいてくれたのではないかと信じているのですが(確認したことはありません…)、とにかく地元の友人関係に未練があったことと、進学してから1年半ほど過ぎた時に「自分は男子校ではなくて共学に通いたいんだ!」と強烈に思い始めてしまったことで勉強への意欲が急速に失われてしまい、結局そのまま中学レベルの勉強もおぼつかないまま大学受験まで行ってしまったため、最終的にはわざわざ中学受験をしなくてもよかったのでは…という学力しか身につかずに終わってしまったのでした。

 

つまり、一言で言えば、「私には母校の中高一貫男子校は合わなかった」ということに尽きるわけなのですが、これは必ずしも私だけの特殊なケースではないとはっきり言えます。自分の場合は途中で別の高校に進学したいと思うだけで終わってしまい、それ以上のことは行動に移さないままとりあえず卒業はしましたが、そのようなミスマッチに私以上に苦しんだ級友の中には高校に進学するタイミングで別の学校に行った人も、また高校に進学はしたものの結局転校していった人もいました。6年間で約5%の生徒は中途退学したようでした。そして、このようなことが私の母校だけの話では決してないことは、実は簡単に確認できることなのです。中学受験ガイドのようなものを開き、中学1年生の在籍者数と高校の卒業生数を比較すれば、おおよその中途退学率が分かります。そして、高校募集をしていない学校では大なり小なり生徒数が減少しているのです。その中には学校が合わずに辞めていった人が一定数いることを考えると、「私立中学に入れば全て解決!」とは決して行かないことも見て取れるわけです。

 

このような事実は少なくとも積極的に表に出される情報の類ではないため、受験産業由来の情報にだけ接している限り意識されずに終わってしまうことが多いのでしょう。そして親がそうならば、まして中学受験の当事者である10歳前後の子供たちには想像もつかない側面であるわけです。親が主導せざるを得ないケースが多いということが、私が中学受験に感じている構造的な問題の一つなのです。しかし、繰り返しますが、そこを親子ともにしっかりクリアできているのであれば、私には否定する気は一切ございません。単純に我が家では第一子A子が通塾も私立中学受験も、ともに希望しなかったという理由から見送ったということです。

 

〜「『塾なし中学受検』を選んだ理由③」に続きます〜

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「塾なし中学受検」を選んだ理由①

こんにちは。今春、第一子A子が塾に通わずに都立中高一貫校に合格したことに関してあれこれと記述していくブログです。

 

前回までは「都立中高一貫校の合格ライン」というテーマについて書きました。今回から何回かにわたって「なぜ『塾なし中学受検』を選択したか」について書いていきたいと思います。

 

まずはじめにどのような理由があったのか、列挙したいと思います。

a. 子供自身の意思の尊重

b. 私立中学受験というシステムへの思い

c. 経済的な問題

 

その上で、まずはa. について書きます。これは今後「塾なし中学受検」を考えている、あるいはすでに実践しているご家庭の中では少数派なのでは?と勝手に考えているのですが、実は私自身は私立中学受験の経験者で、実際に私立中高一貫校に通い、卒業した経歴を持っています。とは言っても、小学生の頃の私の意思はそこには一切なく、完全に父親主導で行われた中学受験でした(母親の意思もほぼ反映されなかったようです)。まあ、今から30年以上前のその当時は、多かれ少なかれそのような家庭が多かったとは思います。学校説明会も各校年間で2〜3回開かれていた程度で、今のように受験生を対象にした体験会や見学会なんてありませんでした(一部あったのかもしれませんが、少なくとも我が家は参加していませんでした)。

 

記憶に残っているのは、小学6年生2学期の土曜日の午後、父親が半ドンで帰ってきた後に家族で時々私立学校(全て男子校)を訪ね、父親が受付で「見学させて下さい」と声をかけて校舎や校庭を外から見させてもらっていたことです。今のように受験生に対してサービス精神なんて発揮する必要がないくらい、黙っていても受験生がやって来るような時代だったからなのかは分かりませんが、良くも悪くも非常にあっさりした対応で、誰も案内や説明などしてくれる人もいない中、家族4人で(弟1人含めて)ぼーっと校舎を眺め、5分くらい眺めたら「そろそろ行くか?」なんて父親が言い出して学校を後にする……そんなことを2〜3校したでしょうか。

 

それ以外では、通っていた塾の公開模試で私立学校が会場になる時はそこを(父親が)選んで受けに行ったり、あまり関心がなかったためおぼろげですが一校だけ学園祭を見に行ったこともあったと思います。そう、記憶がおぼろげなのは、私立中学受験というものに対して私自身に全く主体性がなかったからなのです。むしろ、自分としては通っていた公立小学校の友人たちの大部分が進学する公立中学校でもよかったくらいでした。

 

私の出身区は全体としては東京でも比較的教育熱が高いことで知られるところなのですが、当然場所によってはそうでない地域もあるわけです。私の場合は周辺に商店街があるような地域だったこともあり、私立中学受験組はごく少数派でした。小学1年生から始めた進研ゼミが楽しくて、しかも小学3年生の時に親友になった友人が学年末の3月にようやく親の説得に成功してチャレメ(おそらくチャレンジメイトの略)になって、「これでお互いの家で一緒に勉強できるね!」と大喜びしていた矢先、親から「今月でチャレンジは終わり、明日から塾に行くからね」と宣告された時の絶望感、そして号泣しながら抗議しても一切聞き入れてもらえなかったことを昨日のことのように覚えているのは、それだけ幼い私にとって辛い出来事だったからなのでしょうか。

 

とにかくそのようにスタートからして強制的に塾通いを命じられた私にとって、頭に刻まれた構図は「中学受験=強制」というものになってしまったのでした。その後も私の塾通い、そして私立中高一貫校時代に関する話は色々とあるのですが、だいぶ逸れてしまった話をA子のことに戻すと、私はこの自分の経験から我が子の受験に関しては「絶対に本人の意思を尊重する」ということを肝に命じて子育てをして来たわけなのです。つまり、「はじめから中学受験をさせる、させないを親の考えで決めない」ということです。この点について時々心配になるのが、私に似たような経験をされた方で「だから子供には絶対に中学受験はさせない!」と決めている人がいること、そしてまるっきり反対に、自分が公立中学→公立高校と進んで大変苦労したからという理由で「だから子供には絶対に中学受験をさせるんです!」と決めている人が共にいらっしゃることです。

 

私にはそのどちらの姿勢にも危険なものが感じられます。大切なのは、なるべく両方の選択肢を提示した上で、「子供自らに選択させること」なのではないかなと個人的には思っています。そして、A子は私たち夫婦からのこの問いに対し、「塾に通ってまでは受験したくない」と答えました。それでいいんだと思います。

 

〜「『塾なし中学受検』を選んだ理由②」に続きます〜

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都立中高一貫校の合格ラインのこと④

「都立中高一貫校の合格ラインのこと③」からの続きです。

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ようやく得点開示請求をするところまで来ました。前置きが長くなってしまいすみません😅

 

さて、校舎に入ってすぐの事務室窓口にて、事前に記入を済ませておいた得点開示請求のための書類を事務員の方に提出すると、「後ろの席で少々お待ちください」と言われました。学校HPには「請求から発行まで15分ほどお待ちいただきます」と書かれていたためそのつもりでいたのですが、ほんの数分でいただくことができました。

 

書類には大きく得点が記載されていたため、受け取った瞬間にA子の得点配分がパッと目に飛び込んで来て、その予想外の結果を知ることとなりました。結果は……

 

◇適性検査Ⅰ 90%

◇適性検査Ⅱ 50%

(◇調査書点 94%  ※調査書点は開示されないため、事前の計算によります)

 

でした。全て合計すると、全体に対し70%弱の得点率でした。その時の率直な感想は、「作文が予想をはるかに越えて良かったんだ」ということと、「適性Ⅱは半分に届かなかったのか」ということでした。「作文が予想をはるかに越えて良かった」と感じた理由ですが、前年に何度か受けた適性検査模試では採点がかなり厳しく、毎回5565%くらいの得点率だったためです。その模試ではついぞ作文が7割に到達することがなかったので、1月に過去問や通信添削をこなして多少実力の底上げができたとしても、「本番で70%に届けば上出来だ」くらいに思っていたのです。なお、もし作文の本番での得点が70%ほどだったとしたら、合計得点率は66%弱となっていたため、今年の合格ラインによっては厳しかったかもしれません。いずれにしても本番で作文が成功し、高得点がとれたことは本当に良かったと思いました。

 

そして適性検査Ⅱの方ですが、こちらは検査Ⅰとは反対に、直前の過去問演習では平均して60%は越えており、難しかったり本人が苦手な問題だった年でも55%はとれていたので、予想以上に苦戦していたことが分かりました。たしかに、適性検査が終わって迎えに行った時、娘は「作文は書けたと思う。検査Ⅱはの社会分野以外は難しくて、あまりできた気がしない」といった感想を述べていたので、それに照らすと作文ほど「意外な結果」というわけではなかったのですが、改めて少し緊張が走ったと言いますか、「総合点に助けられた」とホッとする思いでした(それにしても「都立中高一貫校の合格ラインのこと③」に書いたこだわり塾長の『検査は半分でも受かる』は本当だったんだ!と思いました)。

 

我が家の調査書に対する考え方も追って書いていきたいと思っているのですが、これについてもネットでは色々な意見が見られ、例えば「全体から見た得点配分では明らかに適性検査の方に比重があるのだから、よっぽど『1が並んでいる』といった状況でもない限り、あまり気にせず検査で高得点をとれるよう対策を頑張った方が良い」といったものがあります。一方で、「調査書点は全体の2030%を占めるため決してバカにできません。特に合格をとるような受検生は小学校での成績も概ね良い子が多いので、『ほとんど3の中にぽつぽつと2がある』くらいの状況が理想です」といったものもあります。これらに対する私の意見は、当たり前のことを言うようですが、「受検準備の仕方や子どもの特性によってどちらも正しい」というものです。

 

もし都立中高一貫校を難関私学との併願で考え、私立進学向けの塾できっちりと準備している小学生で、さらにその学力が高ければ調査書に対して前者の姿勢でも問題はないかもしれません。調査書点での不足は適性検査の得点でカバーすればいいわけです。また、我が家のように塾には通わず、ほぼ都立一貫校一本で考えているような場合は、調査書点の1点、2点が大切になってくるわけですから、後者の姿勢が望ましいとなるのではないでしょうか。

 

この調査書に関するテーマは他にも色々と考察できる要素がありますので、また項目を改めて書いていくつもりです。ひとまず「適性検査の合格ライン」についての話題はここで終わりたいと思います。

都立中高一貫校の合格ラインのこと③

「都立中高一貫校の合格ラインのこと②」からの続きです。

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2022年は3月7日が得点開示請求の受付開始日でした(今年は土日祝日や休校日を除いて8月31日まで請求可能のようです)。

 

合格ラインが公表されない中、個人の得点は開示されるというのは(検査後ひと月以上経ってからとはいえ)それだけでもありがたいと言いますか、大手塾等はこの個人データを合格・不合格に関係なくなるべく数多く集め、そこから年度ごとにかなり正確な合格ラインを割り出しているであろうことが容易に想像できます。

 

私は検査後に得点開示請求が可能であると知った時から、我が子の結果の如何に関わらず、必ず請求に行こうと決めていました。理由はいくつかありますが、まずは本人の努力が最終的にどれくらいの点数として現れたのかが純粋に知りたいという気持ちがありました。また、同時にA子本人も点数が知りたいと言っていたこともあります。やはり人間ですから、年齢に関係なく自分が頑張ったことに対する結果は知りたいですよね😄たとえ不合格だったとしても、最終的な得点と向き合って、「これだけ点数がとれたんだから、本当によくがんばったね。お疲れさま!」と声をかけてあげようと思っていました。

 

一方、もう一つの理由はかなり現実的なものなのですが、第二子B太(これは塾なし受検を考えた理由にもつながるのですが、我が家はいわゆる多子家庭なのです)が今後もし都立中高一貫校を受検するとなった時の対策の見直しにつながると考えたことです。つまり、簡単に言えばもし適性Iの作文の点数が想像以上に低ければ作文対策の戦略を再検討しなければなりませんし、適性IIの点数が……  というわけです。

 

そして、幸いにも合格がいただけたので、親としては落ち着いていたのですが、それでも得点開示請求受付初日に知りたいという急いた気持ちが正直ありました。請求は平日16時30分までに学校に行かなければならないので、この日は会社を少し早退して向かいました。

 

16時を過ぎた頃に学校に到着。遅めの時間帯だったためか、同じ目的でいらしたであろうお母様が他にお一人だけでした。その時ふと自分は今回初めて校舎内に足を踏み入れたんだなという思いが頭に浮かびました(厳密には一度だけ入学願書配布説明会で体育館に入ったことはありましたが、適性検査当日も保護者は校舎内には入れなかったのでした)。そして、目の前の廊下にはこれから下校という生徒が数名。思わず我が子の少し未来の姿をそこに重ねてしまいました。事務所前で一人の男子中学生が小走りにやってきて、私の横を「失礼します!」と通っていったのもとても好印象でした。

 

「都立中高一貫校の合格ラインのこと④」に続きます〜

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